徳洲会 伊良部島診療所 伊良部について

伊良部医療史

〜伊良部村史(昭和53年刊)より〜

治30年ごろまで、島民は病気になると巫女:ユタを頼っていた。巫女のお告げに従っても病気が治らない場合、病人は草巫(ヤブ)の家に行った。草巫は病人のいいなりに任せて、お灸を据えたり、費用のかからない島特有の民間療法を試みたりしていた。その内容は次のようなものであった。

  • 頭痛にはモグサを煎じて飲む。
  • 歯痛には酒を含む。
  • 骨折すると、鶏の皮で患部を覆いお灸を据える。
  • 疥癬には塩水を沸かして浴びる。
  • 痔病は鼠を焼いて食べる。
  • 流行り眼は、朝、自分の尿で洗う。
  • 禿は親が舐める。
  • 下痢はバナナを食べる。

良部で最初に診療を行ったのは、宮古島出身で薬局生の経験のある下地恵介氏であった。医師の資格は持っていなかったが、村民からは「ヤブ医者」の異名で親しまれ慕われ、明治30年から昭和2年まで30年間にわたり診療を行った。

治41年、特別町村制施行により伊良部村が誕生。初代村長は2年を費やして医師を探し、村医として砂泊兼玄氏を招聘した。与論出身の砂泊氏は正式の医師免許を持たない医介輔とはいえ、診療術に優れ村民からは慈父の如く敬慕されていた。しかし6年後に宮古島に転任となり、島は村医不在となった。

正10年ごろ、沖縄出身の若い医師、南風原朝保氏が村医として赴任したが、2年くらいで沖縄に引き上げ再び無医村になった。

正13年には、本土派遣医(内科)と県派遣医(眼科)が診療を開始したが、いずれも6ヶ月で帰任した。

良部に村医が定着したのは昭和3年からで、昭和36年までに8名の医師が交代で勤務した。

和36年には、伊良部診療所、佐良浜診療所が落成し、島には2名の医師が常駐するようになった。以後、昭和53年まで、伊良部診療所(北区)には村医として7名の医師が交代勤務し、佐良浜診療所(南区)には本土(日本政府)派遣医師6名が交代勤務した。

和48年、村立病院建設計画案完了。(しかし、その後、実現することはなかった。)

〜村史刊行以降の医療史の概略〜

和50年に村長の求めに応じて佐良浜診療所に赴任した今村弘氏は、その後、村立であった佐良浜診療所で開業、計33年間にわたる診療を行い、島の歴史の中で最も長く診療を続けた医師となる。(平成19年休診)

和58年、伊良部村は伊良部町に町制移行となる。伊良部診療所は伊良部町立南診療所に改称後も、数年ごとに医師が交代で勤務し診療が継続される。

成6年、伊良部町立北診療所(佐良浜地区)が開設される。佐良浜診療所、伊良部町立南診療所とも、それぞれ1名の医師が勤務し、島には計3名の医師が常駐するようになる。

成10年、医師確保困難と累積赤字のため、伊良部町立北診療所が閉鎖。

成11年末、医師確保困難と累積赤字のため、伊良部町立南診療所も閉鎖。

成12年1月1日、伊良部町立北診療所跡に隣接して徳洲会伊良部島診療所が開設され診療を開始、現在に続く。

成16年1月1日、兵庫県明石市の77歳の眼科医師、矢野敏郎氏が佐良浜港近くに眼科医院を開業したが、体調を崩され平成17年7月より休診、閉院に至る。

成17年、伊良部町は宮古島市に合併となる。

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