徳洲会 伊良部島診療所 なんかさ離島診療

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なんかさ離島診療

茅ヶ崎徳洲会総合病院・救急総合診療部 市川元啓
2008年7月8月勤務

【寄稿】離島診療を経験して

 僕が伊良部島に始めて行ったのは7月1日、今回の派遣が無ければ伊良部島っていう島の存在も知らなかったと思うが、鎌倉のO先生の紹介で2ヶ月間、茅ヶ崎の先生たちにわがまま言って行ってしまった。まず宮古島に降り立ったときに空と海が異常に青くて、異常にきれいなのに驚いた。湘南にも海はあるし、江の島やサザンビーチも結構綺麗でいいとこなのだが、宮古の海は全然違った。海底のサンゴが透き通って見える海ってものをはじめて見た。空も同じように青くて、少し大げさに言うと空と海の境目が分からなくなるほど。そして太陽は文字通り頭の真上にあって、学生時代に行ったアフリカを思わせるような熱帯の日差しだった。

 宮古島から伊良部島まではフェリーで約10分、他の乗客はクーラーの効いた船室の中にいるが、僕はもったいないのでデッキで海を見ながら、潮風をあびながら島に向かった。同じようにデッキにいる人が何人かいるがみんなナイチャ−(内地の人、つまり本土からの観光客のこと)である。デッキで船に揺られているとドクターコトーの冒頭のシーンを思い出して、なんか自分がコトー先生になったみたいでいい気分である。

 港には病院の職員が迎えに来てくれており、車で2、3分で診療所に着いた。前任のY先生が診療所の案内をしてくれたが、なんか体調悪そうである。聞くと前日に送別会で超飲まされて二日酔いとのこと、鎌倉ではスマートでエリートなイメージの彼が当直着で髪ボサボサでひげの伸びた姿を見て、ここでも別の意味で島の魔力を感じた。(後で聞いたら今まで応援で来たどの医者よりもはじけて楽しんでいったとのことだった。)

 診療所での業務は主に外来診療であるが、入院病床も19床あり、少ないときでも12、3人、多いとほぼ満床の患者が入院している。僕がいたのは夏だったが、冬には満床以上の患者が入院することもあったらしい。外来も入院も仕事はすぐに慣れた。以前やっていた内科外来と普段茅ヶ崎でしているERの知識でほぼカバーできた、ただ骨粗しょう症の外来フォローはやったことが無かったので以前いたS先生の残したガイドラインで勉強した。

 僕の一週間の予定は以下の通りであった。月曜から木曜までは一日外来で、その前後や合間に病棟の回診、木曜に宮古島にフェリーで渡り、宮古島徳洲会病院で当直をして、金曜午前に宮古島で内視鏡をして、フェリーで伊良部に戻り午後は伊良部で外来をする。土曜はフリーにしてもらっていることが多いので、ダイビングや観光にあてさせてもらい、日曜の午後から伊良部の当直に入る。主に宮古島徳洲会病院から応援の先生が入れ替わり来てくれるので午前外来は2人体制、午後は僕1人での外来となることが多かったが、夜間や週末の当直も応援の先生が色々な病院から来てくれるので、僕の当直は3日に1回くらい。当直といっても一晩に5人も患者がくれば多いほうなので体力的には全くラクチンだった。宿舎は診療所と同じ敷地内にある建物で4LDKの部屋を貸してもらえた。診療所が近いのと、島唯一のコンビニに近いのはとても便利だったが(僕は1日に1回コンビニに行かないと生きていけない人間なので)、ひとり暮らしに4LDKは少し広すぎて落ち着かなかった。あとどこから入ってくるのかヤモリは部屋の中にほぼ毎日何匹か同居していた(奴らは意外なほどデカイ声で鳴く)。

 外来の合間に週に3回訪問診療にでるのだが、これが結構楽しい。降りしきる太陽光線のなかで看護師の案内で島をドライブ気分で回る。本土で働いている医者は忙しいとあまり太陽を浴びる機会もないが、ここでは週3回(老人保健施設にも週2回行くので正確には週5回)合法的に平日の真昼間にドライブに行ける。この島には寝たきり独居っていう人がやたらと多い。島全体の過疎化と高齢化の影響なんだと思うが、本土の寝たきりの人と比べてめっちゃ元気で何故だか全くボケてない。訪問でいくオジイの1人は寝たきり独居なんだがいまだにタバコを欠かさず吸っている。ヘルパーさんがタバコを買ってきて本人の横に置いておいてくれるらしいが、僕はいまだに彼の家が火事にならないか心配でならない。島で最高齢のAさんはこの島の名物オバアだが僕が行くと(若い男が行けば誰でもだと思うが)「あぱらぎせんせー」って言って僕の手をとってぶちゅぶちゅっとキスの嵐を浴びせてくれる。ちなみに「あぱらぎ」っていうのはこの辺の方言で「かっこいい」とか「かわいい」という意味らしい。

 仕事はすぐ慣れたと言ったが、言葉には最後まで全く慣れなかった。以前、山形の新庄に行ったときに方言がわからなくって看護師に通訳してもらったことがあったが、そのときの比でなく本当に全く全然わからない。同じ日本語ならところどころ分かる言葉があったり、せめて何が話題になっているのかぐらい分かりそうなものだが、それすら分からない。というか、相手が日本語を話しているのかどうかすら分からない。外来に来る患者さんは僕が内地の人間だと知っているので、加減して標準語に近い言葉で話してくれるが高齢な島民同士の会話には全くついていけない。でも、外来患者さんの言ってることが分からなくても、笑顔で「うんうん」とうなずいていると「ありがとねー」といって診察室を出て行くので、ある程度僕の診療に満足していただいたことが分かり安心する。2ヶ月間で僕が覚えた方言は前述の「あぱらぎ」の他に「ぺーちゃがま」(「ちょこっと」という意味、本土の人間からすると「ちょっと」って言ったほうが早いじゃん、ってつっこみを入れたくなる)と「あがぁ」(痛いときとかに出す叫び声)の3つぐらいかな。

 都会の病院での医療と大きく異なるのは、まずほとんど検査が出来ないこと。診療所にあるのはエコーと内視鏡と心電図とレントゲンのみ、それも夜間や休日はレントゲン技師さんが診療所にはいなくなるので自分で写真をとるか技師さんをon callで呼ぶこととなる。僕はなまぐさなので、いままで自分でレントゲンを撮るってことをしたことが無かったが、僕がいた2ヶ月間では技師さんを呼び出すことはなく済んだ。採血は隣の宮古島まで検体を運んで、「大至急」って言うと2時間後くらいにFAXで結果が送られてくる。もちろん夜間は船が出ないので採血データも出ない。CTなんて当然ない。こういう環境だと普段、都会の病院で自分がいかに理学所見をおろそかにして検査に頼った医療をしているかを思い知らされる。医師8年目の自分がそうなのだから、もっと若い先生はなおさらかもしれない。

 あと転送の判断は難しい。どこまで自分の責任下で診るか、都会の診療所や開業医さんもそうかもしれないが、ここではもう一つ、船の時間も考慮に入れないといけない。最終便が出てしまった後では、患者さんに多額の出費をしてもらって借り船を出してもらえないと転送が出来ない。時間ぎりぎりに来た症例にゆっくり問診をとって、綿密な理学所見をとったばっかりに転送のチャンスを逃してしまうなんてこともありうる。実際、最終便ぎりぎりにきた急性腹症の患者は、もう少し診療所で経過観察を、と思ったが時間に迫られ転送させてしまった。

 この島の人たちは独特な死生感を持っている。病院で死ぬとその魂が病院に残って成仏できないので、死ぬときは家で死にたいらしい。だから入院中の末期癌の患者でも何でも、血圧が下がってきて「もう数時間で死ぬかも」ってなると、親戚一同で急いで患者さんを大きめ車に乗せて自宅に向かう。そして数時間後に死亡確認のために診療所の医師が呼ばれる。茅ヶ崎では逆に「最後は病院で」って言って死ぬ数時間前に救急搬送されてくる患者を多く診てきた。病院で死ぬことが当たり前になっている我々には茅ヶ崎のほうが自然な感じがするが、自宅の畳の上で死ぬのと病院のベッドの上で死ぬのとどっちが自然かって考えると、僕らは本土で不自然な死生感を持たされているような気にもなってくる。もちろん、こんなことに正しいとか間違っているとかはないのだが。

 元来、僕は医者のくせに神とか霊の存在を信じている人間だったが、都会で救急医なんて仕事をしていると、その存在にも疑問を持つようになる。だが、この島には間違いなく神や霊が存在する(少なくとも島民はそう信じている)。島には「ゆたさん」と呼ばれる一種のシャーマンが何人かいて、お払いや神事を行っているらしい。細かい儀式や風習は知らないが、そのゆたさんの1人が外来受診した際に「今晩、危ないよ(誰かが亡くなるかも知れないよという意味)」と言った。実際にその晩、肺癌の患者が亡くなったときは少し背筋が寒くなった。「マンゴー園で霊にとりつかれた」って人が叫び声をあげながら救急搬送されたときは、どうやってお払いしようかと考えたが、自分が医者なのを思い出してセレネースを打って精神病院へ転送させた。

 台風についてもふれておくと、このへんの台風は並じゃないらしい。数年前、巨大台風の直撃を受けたときには、過ぎ去った跡にどっかの施設の屋上に牛がのっかっていたという噂もあり、僕は不謹慎と思いながらも怖いもの見たさで心待ちにしていた。が残念ながら僕がいた2ヶ月間で台風の直撃は無く、小さいのがかすめていった程度で連続当直も2泊だけだった(台風が来ると船が出ないので応援の先生がこれなくなる。よって診療所の医者は自動的に連日当直をしないといけない)。

 果物はほんとにおいしかった。義兄が宮崎出身なので愛知県の実家でも高級マンゴーは何度か食べさせてもらったことがあったが、まったく比べ物にならないほど新鮮で甘い。それも当然、診療所から車で5分も走ればマンゴー園があって、新鮮なマンゴーが所狭しと並んでいる。その他、パッションフルーツ、ドラゴンフルーツ、パパイヤなどあまり本土ではお目にかかれない果物たちがたくさんあり、どれも超ウマイ。郷土料理もいろいろ食べさせてもらったが、中でもS先生おすすめの陸揚げしたてのカツオの刺身や、島名物のグルクンていう赤魚のから揚げはほんとにおいしかった。ヤシガニっていう熱帯特有のヤドカリのお化けみたいな生き物がいて、たまに診療所の前の道をノタノタあるいているんだがこれも喰えることを送別会のときに知った。カニをちょっとジューシーにしたような味でなかなかいける。

 夜になると満天の星空、これがまた異常に綺麗。僕は出身が三重大学なのだが大学のある津市は県庁所在地のくせに田舎で、そのおかげで津の星空は割ときれいだった。しかし、伊良部の星空はそれとも全然違う。流れ星なんて5分間空を見てれば十分見れるし、オリオン座の中には星が何個あるか数えられない(都会ではオリオンの3つ星が見られればいいほうなのだが)。恥ずかしいことにこの年まで天の川って物をプラネタリウム以外ではまともに見たことが無くて、最初は雲だと思ってしまった。

 週末になると応援のドクターが沖縄中部徳洲会病院などから来て、僕は土曜日はフリーにしてもらえることが多かった。7月最初の土曜に島のショップに申し込んで体験ダイビングという物をしてみたが、これがはまった。水族館でしか見たこと無いような熱帯魚やサンゴが360度パノラマで拡がっており、もう最高。それからフリーの日はダイビングに当てるようにして、3回の講習でライセンスを取得することが出来た。ダイバーにとっては伊良部島と隣接する下地島のまわりは絶好のポイントが多数あるスポットらしく、ショップで一緒になった観光客のダイバーは口をそろえて「ここで講習を受けれるなんて贅沢だね」といっていた。講習中にカクレクマノミってのが近づいてきたので指を出したら、噛み付かれた。手袋してたから痛くは無かったが、奴らは意外と凶暴らしい。サメもたまに出るらしいが、ダイバーが被害に会うことはめったにないとのこと。むしろ海に浮いてシュノーケリングとかサーフィンをやっている人たちのほうが狙われやすいようだ。

 ショップのインストラクターさんは優しく、面倒見もよく、とても丁寧に教えてくれた。僕は島海空(すまんかいくうと読む)というショップで体験ダイビング1回、ライセンス講習3回、ファンダイブ1回をお願いして、させてもらった。内地出身の2人で経営している島内のショップで、他に島内に2、3ショップが点在しているが、宮古島にあるショップで伊良部までボートで来ているグループもいた。意外にも伊良部島で漁師以外で海関係の仕事(ダイビングとかシュノーケリングとかのガイドなどなど)についている人はほとんどが内地出身者だった。島の人たちにとっては伊良部のきれいな海があたりまえで、あまり感動がないが、内地の人が島にきて感動して居着いてしまうパターンが多いようだ。

 最近、伊良部行きを紹介してくれた鎌倉のO先生と話する機会があり、救急医が離島の診療を体験する意義は?という質問を受けた。自分にとっては伊良部での体験は茅ヶ崎のERとは違って、患者さんを継続的にフォローするという経験、検査のほとんどできない診療所で患者をみるという体験は新鮮なものだった。原則として医者は都会でも田舎でも有限なリソースのなかで目の前の患者さんにとってベストと思われる治療を提案し、それを患者さんの希望とうまくすり合わせていかなければならない。伊良部のような離島での診療って、我々都会の大病院で働く医師にとっては、そのリソースと患者の解釈モデルが大きく変わるだけで、その原則を再確認するという意義があるのではないかと思う(救急医が離島に行く意義という質問からは若干ズレるが)。大げさに言うと都会で働く医者全員が伊良部のような離島での診療を体験すると、医療について見直すいい機会になるんだと思う。

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