徳洲会 伊良部島診療所 なんかさ離島診療

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なんかさ離島診療

湘南鎌倉総合病院 救急総合診療科 隅田靖之
2007年11月〜2008年3月、2008年9月勤務

【伊良部島通信】湘南救急医グループ(SCEP)メーリングリストへの投稿より

徳洲会 伊良部島診療所 なんかさ離島診療

プロローグ

やってきました。
念願の離島研修です。
研修医が2ヶ月毎に離島に行っているのを傍目に羨ましく思ってました。

O先生の伊良部島診療所を引継ぎ、今回は11月から来年3月までのロングリリーフです。
O先生ご苦労様でした。

宮古島から船で20分ぐらいで伊良部島に着きますが、ちょうど沖縄と台湾の真ん中ぐらいの位置なんですかね?
ここ数日は最高気温27度、最低気温23度でして本土の9月ぐらいでしょうか。長袖はまだ必要なさそうです。真冬でも半そで1枚で生活している人もいるとか。

離島の孤独な生活をいろんな人が心配してくれますが、気分的には開放感に満ち溢れており、
今とても幸せです。
人口7000人を一人で守っているということにロマンを感じながら、日々がんばって参ります。

【伊良部島通信その1】

伊良部島診療所、所長代行のSです。本日伊良部島に来て2回目の当直です。
前回は一昨日の日曜日でしたが、患者さんは4人でした。
喘息発作や動悸発作の患者さんでしたが、みんな夜12時頃に帰宅になり、翌朝までは誰も来院せずでした。
今日は現在当直中ですが、夕方6時以降は誰も来ません。
ここ2日間の診療内容です。

11/5(月)

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朝から本格的に1週間の診療が始まりましたが、結局月曜日は夕方まで外来に80人近く来院されました。
一日中息をつく暇もなく、患者さんに話してました。
午前中は鎌倉の研修医のS先生が現在宮古島勤務をしていますが、彼が午前中を手伝ってくれて、午後は沖縄中部徳州会からのHO2の女医さんが宮古島から手伝いに来てくれました。
特に午後は小児のポリオの予防接種があり、小児が70人来ました。
いつも外来に来るおじいやおばあがいて、予防接種の小児がいて、そのお母さんがいてと老若男女(若い男性はいませんでしたが)集合して昨日は病院が集会所のように混雑してました。

11/6(火)

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今日は午前中は外来をし、昼ごはんを食べていたら、ターミナル(胆管癌)の患者さんの家族が自宅で看るとのことで(伊良部島も与論島と同じく最期は自宅で看るみたいです)昼食を半ばにして自宅まで搬送しました。
その後、伊良部島で唯一の老人の入所施設(入所者34名)に往診に行きました。(週に2回行きます)
100歳の誕生日をしたというお年寄りが何人かいて本土の施設よりもやはり平均年齢が高かったですね。

外来にも97歳のおばあが70歳台と思われる娘を連れて外来に来ますが、このクラスのお年寄りはみな、よく食べよく笑っています。
学ぶべきことがたくさんありそうな気配を漂わせる偉大な人生の先輩達です。

今日は当直ですが、患者さんはいつも夜はあまりやって来ません。
よって外来当直の看護婦さんは外来を掃除機をかけて掃除したり、病院の前に水を撒いたりしています。
事務の方は少し遅く残って僕らが当直で着ている術衣のアイロンをしていました。
当たり前でしょうけど、みんな自分の仕事ではないと思わないんでしょうね。
いい光景です。
ではでは、また。Sでした。

【伊良部島通信その2】

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伊良部島のDrコトー、現在ついに本当に孤島になった伊良部島出向中のSです。
孤島になったのはもちろん「台風23号」のためです。
たぶん本土ではあまり騒がれていないと思いますが・・・
私個人的にはかなり大騒ぎです。
昔から台風が来ると騒いでましたが、今回は唯一繋がっている宮古島からの船も朝から全便欠航になり本当に孤島になってしまいました(泣)

昨日伊良部島で当直だった宮古島徳州会病院に派遣されている中部徳州会の2年目の研修医は朝宮古島に帰る予定でしたが船が出ず今日も伊良部島に泊まってくれています(喜)

また薬剤師さんが宮古島から渡れず、今日は薬剤師さんはいませんでした。
よって外来の患者さんの内服薬は数日分だけ処方して後日処方箋を出して常用薬をもらってもらうことにしました。

患者さんは当初少ないのではと思っていましたが、予想に反してたくさんやってきました。
台風の影響でけがをした人はいませんでしたが、
「漁業をやってて漁に出れないから来た」とか、
「農業で畑に行けないから来た」とかで
何か薬剤師さんが来ない以外はみんな普通に来ました。

診療所の看護婦さんによるとこんな台風は序の口らしく、夏の本物はこんなものじゃないとのことです。数年前は電柱が次々と倒れて停電は1週間続いたらしいです。
本物の時はいろんなものが風に飛ばされて、牛などの家畜も飛ばされることがあるとか(ほんまかいな?)
診療所のスタッフはみんな「少し天気が荒れてるだけ」と言ってます。
僕は外に出るたびに歓声です。
本土ではそこそこの台風だと思うんですけどねえ・・・
どうやらここの島の人たちは相当のものを経験しているようです。

目の前の伊良部島唯一のコンビニ(ファミリーマート)にも影響が出て、パンは売り切れて飲み物もどんどん無くなっていってます。
供給元はもちろん宮古島からなので船が出ない今はストックはありません。
数年前の夏の台風の時は中部徳州会からの研修医が5日間伊良部島から出れず、その間に緊急のお産が2件あったようです。
今のところ18人の入院患者さんは全員安定していますが、低気圧の影響を受けて何が起こるか分かりません。気を引き締めていこうと思います。

〜最後に連絡〜
診療所は暇なのかと思っていたらまちがいでした。
平日の昼間は朝から夕方までノンストップで外来で喋り続けています。
しかも相手は標準語があまり通じないおじいとおばあで難聴もありかなりエネルギーを使います。なかなか大変です。
ではではまた Sでした。

【伊良部島通信その2続報】

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伊良部島の孤島を脱出したSです。
O先生の苦労まではまだまだですが、日々精進していきます。

台風はあの翌日に温帯低気圧に変わる予定がいきなり海上で消滅したようです。
「なんともよく分からない」と地元の人のコメントです。
台風の消滅した日からフェリーが通り始めてまたいつもの生活に戻っています。

台風の過ぎ去った後はなんと今度は寒くなってとうとう長袖を着ていくようになりました。
外来には患者さんが寒い寒い(といっても今日は最低気温は19度ですが)と言ってジャンバーも着てやってきています。僕は半そで一枚で診療ですが。
この島の人達は寒さには弱いみたいです。
人間の感覚というのは育った土地で作られるんですかねえ?
連日風邪の患者さんが増えています。今週は特に多く、自分の回転数を上げないと外来が回らない日々が続いています。

事務長さんによるとO先生の影響で宮古島まで行っていた患者さん達が少しずつ戻ってきているみたいです。
月曜日と金曜日は朝から夕方までに100人近く来ています。
12月になるとサトウキビの収穫で農繁期に入るため外来患者さんは減るかもしれませんが。

O先生の功績はそれだけにあらず、松風園(伊良部島で唯一の老人ホームで入所10年待ちだそうです)でのO先生がされた疥癬撲滅キャンペーンは奏功しており、かゆみを訴えるお年寄りは激減しています。
スタッフの方々もわざわざ宮古島までフェリーにお年寄りを乗せて行かなくても済んだからとてもありがたいですと感謝しておられました。
僕も何かをこの島に残すことができればと思います。
ではその2は終了です。来月サトウキビの収穫に入ってその3を送ります。

【伊良部島通信その3】

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伊良部島診療所出張中のSです。
10日前からサトウキビが収穫に入り、島民が一番忙しい時期に入った伊良部島です。
寒波は日本の本土だけでなくここ伊良部島にも影響を及ぼし、今日はいつもの半そで短パンスタイルでは肌寒く、上着が必要です。
伊良部島にはすっかり慣れました。
こちらには今まで診たことがない慢性腎不全や骨粗鬆症の患者さんもいるので最近は専ら内科の勉強をしています。
特にパーキンソン病の内服薬に関してはまったく分からず研修医の神経内科ローテーション中に脳卒中だけでなく慢性疾患も勉強すべきだったと後悔をしています。

そういえば老人ホームの疥癬は撲滅しました!
しかし僕も3週間前に左足背が疥癬に蝕まれてしまい、(顕微鏡で虫体と虫卵を確認しました(泣))自分も内服加療していました。
医者が伝染病にかかるなんてロマンがあっていいように思ってましたが、相手が疥癬だと何だか・・・

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この間、風邪の6歳の女の子がやってきました。
風邪自体は大したことはなかったのですが、すごくやせた女の子で付き添いのお父さんに話を聞いたら、6年前にこの診療所が開所して間もない頃のある夜に救急車の中で墜落分娩してしまい25週750gで生まれたとのことでした。
後で診療所の事務の方に聞くと、その夜はたまたま名古屋の徳洲会病院から院長先生?が来られて当直していたようで、蘇生をしながら夜中に船をチャーターして宮古島に搬送したらしいです。
診察をすると心雑音がわずかに聞こえましたが、特に運動制限はなくみんなと遊んでいるとのことでした。
伊良部島診療所では思い出に残る出来事の1つでして、その女の子のことはみんな親しみを込めて下の名前を呼び捨てにして呼んでいます。
ちなみに診療所に入院しているおばあ達も診療所の看護婦さんを下の名前で呼んでます。
伊良部島より Sでした

【伊良部島通信その4】

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伊良部島診療所出向中のSです。
今回はその4を送ります。
本土は寒気に撒かれているなか、ここ亜熱帯気候の伊良部島は今日も気温24度でした。もちろん半そで1枚で過ごしてます。
夜はオリオン座がきれいに輝いてますが、それを見上げる自分が半そででいることにかなり違和感があります。

そういえば先日ホタルを見かけました。さとうきび畑から飛んできました。
最初は幽霊かと思いました。手にとって確認しましたがホタルでした。
夜空と気温、生息している生物と季節の違いが肌で体験できるので面白いです。
ここで俳句を作れば季語なんていうものは本土と違うものになるでしょうね(笑)

伊良部島診療所は最近結構にぎわいを見せてまして、日中は忙しく動き回ってます。
宮古島まで通っていた患者さんが少しずつ戻ってきているようです。
島民にとってのかかりつけの医者の条件というのはどうやら
「話を聞いてくれる医者」
「伊良部島に長くいてくれる医者」
「点滴や注射をしてくれる医者」
のような気がします。こう書くとわがままに見えますが、何か人間が求める本質のような気もします。

診療のほうですが、外来は1日100人ペースです。昼休みもほとんどないようなペースで日中は喋り続けています。(難聴と方言に苦労しながら)
外来が増えると入院するようなコントロール不良の疾患も増え、最近はサマリーを1日1枚ペースで書いてます。こんなに書くのは研修医の時以来です。

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今まで勉強しなかった慢性疾患も落ち着いていれば島の人達は当然診療所に通うことを望みます。そうなると自分で管理しないといけなくなるので、疾患そのものを勉強しないといけないし、また悪くなった時の紹介すべきタイミングも見逃してはいけないわけです。
悩むこともありなかなか大変ですが、それがまた腕の見せ所でもあるわけです。
僕は島の人達が離島だからということで医療面で不利益を受けることがないようにと思ってできることをやっていくつもりです。
しかし訪問診療で伺う独居のお年寄りの生活状態を見たりしていると「生命は平等」なのかなと疑問に思うことがよくあります。
何が一番いいのかは分かりませんが、その都度考えながらやっていきます。
いろいろ考えさせられる日々です。Sでした。

【伊良部島通信その5】

愉快な伊良部の人達と毎日楽しく過ごしています。
4ヶ月目に入った伊良部出向中のSです。では近況を。

2/7は旧正月でした。ここ沖縄、特に漁業に携わっている人は正月を旧正月で祝います。
新正月でするところもありますが、伊良部島は漁業に携わる人が多く、外来は半減してました。
中国は旧正月で祝うと聞きますが、中国に近いからなのか、また漁業の人は月明かりで漁に出るからなのかははっきりしませんが。
また祝い事を司る中年の女性もいます。本土で言うと神主や巫女みたいなものなんですかねえ?よく位置づけは分かりませんが、祝い事にはいろいろ祈祷などをするようです。
診療所の厨房にもいてツカサンマという祭りを司る人ですが、イベントの時期は大変忙しく1週間ぐらい毎回休みをもらうようです。

その2/7に患者さんのお宅に往診に行きました。
夫婦二人で暮らしていた年配の方ですが、夫が脳梗塞になり右半身麻痺と失語で寝たきりの状況で、子供もいなくて訪れてくれる人もいないとのことで、勧めてくれた正月料理を断りきれず「患者さんからのもらい物はいっさい受け取らない」という徳洲会の理念に反して正月料理を頂いて帰りました。
時間がなかったので少ししか食べれなかったら、たくさんおかずをお土産にくれて帰って数日はそれを食べてました。料理はほとんど豚肉料理です。
沖縄は豚肉料理が多く、味付けも豚肉のことが多いです。最後は少し飽きてましたが。
新正月、旧正月が終わって、今度は旧正月から数えて16日目の今年は2/22に「16日目」というものがあり、旧正月より少し盛大に祝うようです。
死んで神様になった人達が一同に集まる日だそうで、どうやらまた豚肉料理の日々になりそうな予感です。

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診療のほうですが。今は19床の入院ベッド数に20人入院しています。入院患者さんは98歳をトップにして80台ばかり。平均年齢はおそらく日本の平均寿命を越えていると思われます。
長生きで元気な人ほど自分勝手でして、症状がよくなったら退院させてくれと言ってきます。
肺炎のように症状がよくなって帰っていいものもありますが、糖尿病のコントロール入院は非常に難しいものがあり、今も外来で格闘している患者さんたちがいます。

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次は往診の話です。
今は週に3回、1日3,4人のペースで昼間のあいた時間で往診に行きます。ほとんどは月1回の訪問診療と2週間に1回の訪問看護です。
その中に伊良部の長寿の103歳のおばあがいます。このおばあがとても愛嬌があって、みんな親しみを感じるというか診療所のアイドルのようになってます。
いつ行っても何を言っても、笑顔で「ありがとう」「ありがとう」です。どこまで話を聞いてるのか不明です。
このおばあは酒好きで、泡盛を原液で毎日少しずつ飲んでます。最近はふらふらして危ないからとヘルパーさんがお酒をあげないようにしているらしいですが、数年前の入院カルテをめくるとアルコール多飲による脱水と低血糖で入院を数回しています。以前は訪問に行くと赤い顔をしていたみたいです。
部屋には100歳のお祝いとして、総理大臣賞の表彰状が小泉純一郎の名前で額に入れて飾ってあります。訪問に行くたびに敬意を感じますが、当の本人は上のような調子で表彰状のことは知ってるのか分かりません。
生まれは明治37年。ちょうど日本は日露戦争?もう僕の中では歴史の世界ですが。
腰もひざも変形性関節症が進行してしまっています。
そのおばあには何を言われても「御意のままにさせて頂きます」という気分です。

外来も苦労してます。
糖尿病のコントロールもそうですが、入院した患者さんに外来で出した薬を持ってきてというと、時々薬を飲んでいなくて何か月分も薬をもってきたりします。
今まで出していた薬が効かないというから少し違ったものに変えたりいろいろしているのに結局飲んでなかったのね。ということが時々あります。
この103歳のおばあは正々堂々と「わたしは元気だから薬はいらんよ」と言います。
言うことをきかない人がいて大変ですが、長生きな人が結構います。しかも楽しそうです。
外来で最近の調子はどうですかときくと「おばあは元気サー」って返ってきます。
このような現実を見て都会と比較すると医療がむしろ寿命を縮めるのではと思ってしまうぐらいに錯覚をしてしまいます。医療者に求められるものについて考えさせられます。

2週間後の2/24は伊良部島でマラソン大会があります。
僕はマラソンの約1/4の距離の13kmに出場登録してます。
先日1kmぐらい走っただけで(ほとんど歩いてましたが)今日は筋肉痛です。
完走すれば参加賞としてカツオを1匹くれるらしいのですが、もう完歩を目指そうと思ってます。
参加者1000人で、救護班もしないといけないのですが。
伊良部島4ヶ月目のSでした。

【伊良部島通信その6】

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鎌倉のSです。伊良部島出向中のSです。
ついに最終月に入りました。あっという間に過ぎてしまい、5ヶ月目という気がしません。
こちらは連日本土の5月の陽気です。
沖縄本島の桜はもう散ったらしいです。
伊良部には桜があまりありませんが、もうこちらも散ったらしいです。
どうやら4月からは夏が来るらしいです。

最近島の人達の生活背景が把握でき始めておもしろくなってます。
伊良部島では似たような名前はとても多いです。
入院の19床でも「池間」という名前の人が同じ時期に4人入院していたりということがあります。今は「前泊(まえどまり)」さんが3人います。
ちなみに「親泊(おやどまり)」さんも2人入院しています。
△△と□□は兄弟だとか
○○はXXとは従兄弟同士とか ということもよくあります。
もちろんご近所さんもよくある話で、「人類みな兄弟」ではないですが、「島民みな兄弟」ではないかと思うぐらいです。
よって家族関係や近所関係、暮らしぶりなどはほとんど地元の看護婦さん経由などで把握可能です。すごい所です。

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もちろん患者さんを間違えることなんて起こりません。
診療所の中で僕以外は患者さんの顔と名前が一致してるし、ある患者さんが聞き間違えて診察室に入ろうとしても近くに座っているおばあが「あんたはまだだよ」ということを時には服を引っ張ってお互いに教え合うからです。
ただ人任せなところ?もあります。
外来に来るおじいやおばあに既往歴を尋ねても「先生が知ってるサー」とよく言われます。
心の中で「知ってるわけないでしょ!」と思いながら、運良く家族の人が付き添いで来ていれば家族の人にききます。しかし付き添いがない場合もよくあり、そういう時は非常に困ります。
内服薬に関しても「どれが効きましたか?」ときいても「先生が知ってるサー」と返ってきます。
伊良部島は周囲の人が身辺状況を把握してくれていることが多いためか自分の病歴に関してはあまり関心がないのかもしれません。
でも「先生が知ってるサー」は「先生にお任せします」という謙虚な意味もあるのかもしれません。ご判断は伊良部に来られる先生方にお任せします。

それと先日紹介した明治37年生まれの103歳のおばあですが、先週そのおばあの友達の101歳のおばあが家族の付き添いで外来に歩いてやってきました。
酒は飲まないらしいですが、二人は数年前の徳洲会の新聞で「伊良部の元気なご長寿」として紹介されたようです。
この101歳のおばあはまだ活力があり、覇気を感じました。
年配の看護婦さんが「私が子供の頃もおばあだったけど、今でもおばあだね」と言ってました。
外来には杖をついて来ましたが、その看護婦さんによるとほとんど杖はぶら下げているだけでついこの前まで家の周りをはだしで歩きぶらさげた杖をカランコロンと鳴らしながら散歩していたそうです。
「長生きの秘訣は?」ときいたら家族の人は「何でも自分でやること」だそうです。
家族は隣に住んでますが、一人暮らしをしているらしく、買い物も一人で行き、どこで何がいくら安いという相場も把握しているらしいです。
料理は今でも自分でや作るし家族がおかずを作っても気に入らない時は自分でスーパーまで買いにいくとのことでした。
最後は友達と「一緒に棺桶に入りたい」らしいです。
何年の友達付き合いなのかはききませんでした。二人以外は誰も知らないかもしれません。

【伊良部島通信その7】

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再びやってきました伊良部島に!
9月から2回目伊良部島出張の鎌倉のSです。
昨日診療所の職員のみなさんに「おかえり」と言われ、一方で黒光りするお肌のI先生とお別れしました。
今回は9月のみの1ヶ月の派遣です!
様々な理由で今回は素直に喜べない今日この頃ですが・・・
しかしさっそくピチピチの「カツオの刺身」と丸大豆と海水のみで作られた「島豆腐」に連日舌鼓をうっています。

さてさてすでに2日経ちました。
今回は半年前に比べて患者さんが半分ぐらいになっており閑散としています。気候は島民の肌にいいのかこの季節は毎年暇のようです。入院も外来も閑散としてます。
平和なのはいいことですが、肩透かしをくらったような感じです(笑)
たしかに都会のような嫌な暑さはなく、夜はクーラーなしでも寝れます。風もよく通るし。
今年は本土では集中豪雨が多かったですが、沖縄奄美は雨がぜんぜん降ってないみたいで、まとまった雨を降らしてくれる台風を待ってるみたいです。
こちらの台風は活きがよくてかなりすごいらしいので、今から期待大です!

今回は前回の研修から半年あけての2回目でして訪問診療の○○さんが亡くなったとか、脳梗塞で宮古島に搬送した××さんがリハビリで自宅に帰る前に診療所にいるとか、外来の△△さんは腎機能が悪くなって透析になったとか
それなりにいろいろ変化もあったみたいです。
半年前に投与した骨粗しょう症の薬の効果もそろそろ出てくるのではと楽しみです。
また相変わらず疥癬の患者さんが時々出没してるようで今日も外来にそれっぽい人が来てました。こっちの疥癬は本当に元気です。
ではみなさんもがんばって下さいまし。

【伊良部島通信その8】

伊良部出張中のSです。鎌倉などでとっても心配中のみなさんに現状報告です!
昨日9/11から台風13号の影響で船が全便欠航になり孤島になっています。
前回の研修に引き続きまたもやDr.コトーを実感できて、しみじみとしています。
風と雨はそこそこですが、診療所の事務長さんに言わせると「そよ風」だそうです。
今回はどうやら台湾、中国のほうに向かうみたいで、さほどの強風にはならないのではと言ってますが、外は本土並みの台風ですね(笑)
沖縄、奄美は今年の夏は全然雨が降っていないらしく恵みの雨になりそうで、さとうきびも島民も喜んでいると思います。
診療のほうは平穏無事です。入院は一人暮らしのお年寄りの「台風避難」を5名ほど昨日受け入れて久々に賑わっています。一人暮らしの認知症のお年寄りなので、やることなすこと救急室に来る酔っぱらいに近いものがあります。
医者側は台風の影響で応援当直が来れないため、僕は昨日9/11から月曜日9/15まで5連続当直になりそうです。忙しくないことを除けばこんなに病院に泊まるのは研修医の時以来です。
「晴耕雨読」に従い、勉強に励む日々です。
今のところ暴風域には入ってないので自衛隊のヘリは飛びそうなので搬送には耐えれそうです。
でも、小中学校は休校です。なぜなら先生が宮古島から渡って来れないからとのことです。よって小中学生は僕とは正反対の5連休です。羨ましい。
その代わり、冬休みなどに補修があるらしいです。かわいそうに。

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では今月の近況を・・・
今月は伊良部島は運動会シーズンで毎週日曜日に島のどこかで幼稚園、小中学校の運動会が開催されています。
先週当直の合間に自転車で見に行きましたが、生徒より応援の家族のほうが多く、初めてあのような光景を見ました。
その中学校の生徒数が103人らしいですが、見物客は木陰に敷物を敷いて、その家のおじい、おばあを筆頭に家族全員で応援ですので生徒よりもはるかに多い人数になります。おまけに夜店のようなカキ氷屋やアイスクリーム屋も来ているような状態でした。
伊良部島出身の看護婦さんに聞くと、何十年も昔から運動会は家族みんなで応援してアイスクリームを買うのが楽しみだったとのことです。羨ましい光景でした。
そういえば伊良部島には児童の「登校拒否」というもがないらしいです。宮古島にはあるらしいですよ。
また中学校の運動会ともなると宮古島では脱走する生徒がいるらしいです。
僕らの中学校もやんちゃな連中は脱走してました。しかし僕の高校は勉強好きが多くて高校3年生の運動会は勉強したくて休む奴らがいました。なんとも両極端なと高校の時に思いました。
走るのは不得意だったのになぜか高校3年生は体育委員でした。でも運動会はヒーローでしたね。玉転がし、パン食い競争などで・・・
話を元に戻しますが、伊良部島運動会は子供だけではなく、大人にもあります。
地区の運動会があり、さらに老人会の運動会もあるとか・・・
老人会の運動会の翌日は外来に注射を打ってくれと来るおじいおばあが増えるらしいです。

【伊良部島通信その9】

伊良部出張中の鎌倉のSです。なんとも退屈な日々が続いています。
こんなに退屈なのは小学校の時に雨で外に遊びに行けなかった幼き日々の感覚以来です。
程度と期間はそれ以上かもしれません。退屈のあまりまた長文で書きました。忙しい方は読まないように!!
石垣島や与那国島は被害がすごかったらしいですが、こちらの宮古地方は島民曰く「そよ風」程度で済みました。
現在台風による閉じ込め当直中で、今日で5日目の当直に入りました!今までの記録は4日連続当直らしいです。数年前に中部徳洲会病院の研修医の2年生が当直をしていたらしいです。伊良部島診療所連続当直新記録樹立かつ更新中です!!
明日応援の当直医が来てくれるらしいですが、うわさによると台風がターンしてまたやってくるらしいので昨日から出始めている船が明日からまた欠航になるとか・・・こうなったら新記録樹立に向けてがんばる日々です!!

診療所には重症は来ず
伊良部島common diseaseの「めまい」「肩こり」を中心に診療しています。
平和なのはいいことです。でも退屈なのは何よりもつらい・・・
昨日から船が通い始めて空っぽになっていたコンビニのパン、おにぎり売り場に補充がされ始めました。
診療所の厨房の栄養士さんも(宮古島から通っている方)食材が手に入って一安心だそうです。
この栄養士さんも5日間ずっと泊り込みで入院患者さんと僕の食事を作り続けています。
涙がでますねえ(泣)毎日の食事がよりいいっそうおいしく感じられます(泣)
新聞も3日分まとめて届きました。それを見ながら昔の人たちはインターネットもなく孤島によく耐えてたんだなとしみじみ思い、インターネットを作った先人達に感謝する日々です。

徳洲会 伊良部島診療所 なんかさ離島診療

そういえば今日の新聞で伊良部高校のバレーボール部が沖縄県の秋季高校バレーボール大会に優勝したことが載ってました。
沖縄県ナンバーワンです!!
伊良部島は人口6500人の島ですが、島で唯一の高校が伊良部高校です。
バレーボールは伊良部島では非常に盛んでして小学校4年生になったら男子も女子もほとんどの生徒がバレーボールを始めます。
診療所には伊良部中学校のバレーボールのコーチをしに行ってるスタッフがいますが、毎朝朝練のため朝7時から中学校に行ってバレーボールを教え朝練が終わったら診療所にやってきます。
その人曰く
「バレーボールはセッターが大事」
「バレーボールはリズムが命」
「強くなりたいなら厳しい練習は当たり前」だそうです。
胸に突き刺さる言葉でした・・・

伊良部高校のほうは生徒数が1学年30人ぐらいだそうです。
半年前に伊良部高校の美術の先生が(伊良部島出身の有名な画家で総理大臣賞も何回かもらっているとのこと)入院をしていました。
美術は高校では選択科目なので隔週で1回講義に行くだけだそうです。
半年前の入院の時は外出扱いで講義に行ってもらいましたが、生徒の数は本当に少ないとか。今の生徒は・・・とぶつぶつ言ってましたが。
その美術の先生は島の人達に頼まれたから講義をしているとのことでした。
もう50才ぐらいでしたが、若い頃はかなり有名な画家だったそうです。
伊良部島診療所の生き字引のベテラン看護婦さんが「あのひとはすごいんだよ」と教えてくれました。伊良部島には隠れたすごい人がいるもんだなと思いましたね。

伊良部高校バレー部の話に戻りますが、ここ数年は準決勝決勝で負けることが多かったらしいです。しかし今年は優勝!!
台風で離島という閉鎖された環境での閉塞感を感じる今の僕にはとても嬉しいニュースでした。
しかも伊良部島以外のバレー部員はほんの数名でしかも石垣島から監督の家に泊まりこみで生活しているのだそうです。
県立高校で特待生はないのだそうです。
部員が少ないので補欠部員がいるかいないかのギリギリ少数精鋭で練習試合、公式試合をするらしいです。そんなギリギリの人数で伊良部島という小さな沖縄県の離島から県大会で優勝できる伊良部高校バレーボール部は伊良部島の人達には誇りだと思います。
こういう話を高校野球でも昔聞いたような気がしますが・・・
明日やってくる診療所のバレーコーチは中学校のコーチですが、満面の笑みで来るでしょう(笑)

「離島には都会みたいに娯楽施設がないから」というのは離島に来てよく言われることです。
だからバレーボール、島のイベントも盛り上げると・・・
離島での生活は閉塞感があるからと・・・
たしかに離島特有の閉塞感は伊良部島にいて感じますが、でもこれってなにか逆のような気もしませんか?
たしかに運動会もそうですが娯楽を増やそうとしてか偶然か伊良部島には学校行事に加えて島の行事など毎月イベントだらけです。
作物が収穫でき、漁ができることを感謝し豊作、豊漁を祈り神様に感謝する祭り、子供の成長を祈る祭り、家族みんなで応援する運動会、家族みんなで祝う敬老の日や成人式。
都会の娯楽施設と比べることではないのかもしれませんが都会が忘れた何かがここにはあると思っているのですが・・・
離島の人達の病気になった時の必要以上の信心深さはあるにしても、都会に暮らし育った人達が見習うべきところがあるように思います。
僕はキリスト教の信者ではないですが、物事に感謝し神様に祈るということは大切なことではないかなと思っているのですが。

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