徳洲会 伊良部島診療所 なんかさ離島診療

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なんかさ離島診療

湘南鎌倉総合病院 救急総合診療科 太田 凡
2008年11月12月勤務

【救急医が離島在宅医療を経験する意義】第11回在宅医療学会 演題抄録より

 伊良部島は、沖縄本島から南西に300km、宮古島の北西5kmに位置する。この島には町立診療所があったが累積赤字と医師確保に悩まされていた。珊瑚隆起の島で美しい海に囲まれているとはいえ、生活は単調で離島独特の閉塞感にさいなまれる。一人の医師に任される診療範囲が広く責任が重い。2000年、伊良部町長はとうとう医師を招聘できなくなり、この島の医療は私たちの病院グループに任されることになった。29.7km2の伊良部島と隣接する9.5km2の下地島に人口は6150人。両島にあって徳州会伊良部島診療所は唯一の医療機関(歯科を除く)で、19床の有床診療所だ。夜間は島で一人しかいない医師になることもある。CTは設置されておらず、大型の台風が来れば一週間近くも隔離状態になる。

 私たちの病院グループに引き継がれた後も医師確保の困難は解消されなかった。何人かの医師が赴任して辞め、辞めるたびに次の医師を募集していた。

 伊良部島の医師確保困難の実情を知り、私たちは救急総合診療科の後期研修医とスタッフで交代勤務を行うことを申し入れた。都市部の救急外来で、軽症から重症、小児から高齢者、疾病も外傷もすべて受け入れる業務を担っている私たちの診療能力がこのような地域で役に立つのではないか、伊良部島での診療を担うことにより、私たちの医師としてのアイデンティティー確立に役立つのではないかと考えたことがその理由にある。住民にとっては島に長く寄り添う医師が望ましいだろうが、交代勤務でも医師の派遣が確保される体制は次善の策と考えた。私たちの申し出は歓迎され2007年9月より交代勤務が始まった。

 診療所での業務は全科対応で、一日100名前後の外来診療を宮古島からの応援医師と二人で行う。その他、19床の入院患者の主治医(平均在院日数約2週間)を担い、保育園、幼稚園、小中学校、高等学校の健康診断、予防接種、そして在宅訪問診療と多岐にわたる。

 在宅診療は島内の約30名が登録され、訪問看護のほか医師による訪問診療が連日数名行われている。その対象には100歳を超えた独居の寝たきり高齢女性も含まれている。普段、救急外来で業務を行う私たちにとって、離島での訪問診療は実に様々なことを考えさせる。在宅医療が、家族の他、近所の助け合い、地域のヘルパーや訪問看護師など多職種の存在により支えられていること。患者本人にとって家族が近くにいることが重要な意義を持っていること。寝たきりの独居でも在宅診療が可能であること。生命を維持することを第一の目的とした診療が必ずしも幸福につながるとは限らないこと。恵まれているとは言えない環境でも、感謝の気持が人生の最後の幸福につながること。そして、そのような在宅医療の環境から救急外来を受診するということは、それなりの決心と覚悟を持った選択であるということ。などなど。

 救急診療は全科にわたる対応を行うという点で在宅医療に共通している。しかし、救急室で患者を待っている限り、患者との接触は刹那的であり、その患者の人生を想像することは少ない。

 一期一会に終わるかもしれない救急医療においても、少しでも患者の人生をイメージして診療に当たる、そのコミュニケーションの力こそが、救急診療に必要な技量のひとつであることに気付かされる。救急医が在宅診療を経験する意義がここにある。救急医と在宅診療医のさらなる交流が望まれる。

【医療基本法を考える集いに向けて】
北米型救急医メーリングリスト(NAER2)への投稿 平成20年12月9日

 私、太田は、11月3日より年明けの1月4日までの予定で、沖縄県宮古島の離島の伊良部島で勤務しております。
 この島には、かつて2つの町立診療所がありましたが億単位の累積赤字と医師確保の困難から2000年に閉鎖され、その後、町長からの求めに応じて民間の伊良部島診療所が開設され、現在、人口は6150人の離島にあって唯一の医療機関となっています。

 私は、全科対応の外来診療(一日100名前後)と、19床の入院患者の主治医(平均在院日数約2週間)を担い、その他に、保育園・幼稚園・小中学校・高等学校の健康診断・予防接種、そして在宅訪問診療なども行い、特別養護老人ホームと下地島空港にも嘱託医としての業務もあります。診療所では血液透析も行われ、10名の島民が台風のときも透析を受けています。一昨日はロード&ゴーの外傷が搬送されてきました。

 19床の有床診療所のため、看護師が2名、医師が1名、毎日当直しています。午前中の外来と当直のうち週4回は、宮古島の病院から応援医師が来ます。応援医師がいない間は、島でただ一人の医師になります。CTは設置されておらず、血液検査もすぐに結果はわかりません。大型の台風が来れば一週間近く隔離状態になります。

 在宅診療は島内の約30名が登録され、訪問看護のほか医師による訪問診療が連日数名行われています。その対象には100歳を超えた独居の寝たきり高齢女性も含まれています。普段は一人で天井ばかりを見ているこの女性は、二週間に一度だけ訪れる私に対し、ありがとう、ありがとうと繰り返し、その他は意味のわからない方言とともに一生懸命話しかけてくれます。
 恵まれているとは言えない環境でも、感謝の気持が人生の最後の幸福につながるのでしょうか。

 まったく同じ状況に置かれても、「何ができないか」を嘆くより「何ができるか」を感謝する、そうした気持ちの違いで自分と周りが変わるのだなあと、この島で実感しました。

 この島で「医療基本法」がどのような意味を持つのかを考えました。

 私たちの診療所は、なんとか赤字を出さないように、なおかつ良心に従って医療を提供しています。当然、人件費はぎりぎりまで削られています。
 専門医をそろえる費用はありません。島民もそんなお金を出せません。医療機器を増やすことも現実的ではありません。
 都会の人々の税金を消費すればよいのかもしれませんが、これからの日本においては持続不能でしょう。

 都市部と僻地において、まったく同質の医療提供を保障することは不可能です。

 県単位(むしろ道州単位)で均質な拠点病院を整備し、高度な専門診療を提供するのは可能だと思います。この島でも、疾患に応じて、宮古島⇒沖縄本島⇒本州と患者さんが移動します。
 しかし、島民が、いつでもすぐに各科専門医の診療を受けられるようになることはこれからもないでしょう。そうした体制は理想かもしれませんが、絵に描いた餅に終わります。

この島で最低限保障されるべき医療は、
・少なくとも一人の医者が、この島に必ずいること。
・この島の医療機関は、島民を差別せずに同じように診療を提供すること。
です。

そして、そのために
・細分化された専門医資格よりも、総合的なプライマリケアを担うトレーニングを受けた医師の育成が望ましい。
と考えます。

医療の質を担保するためには、
・診療所から拠点病院へのアクセスの整備
・拠点病院の役割を明確化すること
が挙げられます。

できる限りコストを抑え、かつ持続可能な体制とするには
・2-3名の総合医による交代勤務(専門医を3人そろえるより、一人の医師の負担が小さくなります)
・看護師、臨床工学技士、放射線技師といった、コメディカルの診療補助業務の拡大
が求められます。

なにより
・診療所の医療提供者が「良心に従って」診療すること
・島民が、この島に住む限り、提供される医療には、この島なりの限界があることを覚悟すること
が必要です。

そして、
・ここで提供される医療は、提供側から一方的に押し付けるものではなく、島民の自らの負担(義務)のもとに、島民が何を求めるのかに応じたものにならなくてはいけません。

 国民皆保険制度は世界に誇る素晴らしい制度です。
 その恩恵は、ここの島民も受けています。
 そして、皆保険制度は持続可能であることに最もプライオリティがあると考えます。

 上記に羅列した、この島で求められる医療制度は、この島だけでなく日本全体で求められているのではないでしょうか?

 日本国憲法と個別の医療関連法の間は隙間(すきま)だらけです。
 過重な期待に脅える救急医療従事者と、医療機関から選ばれずにさまよう患者を守る方法が必要です。

 少子高齢化、BRICsの台頭など、日本経済の先行きは楽観できません。
 このような現在、日本の医療の方向を示す医療基本法が必要だと思います。

 多様な考え方があるに違いありません。まだまだ多くの議論が必要だと思います。
 12日13日の集いが、多くの意見を集約化する一歩になります。
 私自身は離島から離れられず参加がかないませんが、一人でも多くの方々の御参加を願ってやみません。

 長文を最後までお読み下さりありがとうございました。

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