徳洲会 伊良部島診療所 なんかさ離島診療

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なんかさ離島診療

湘南鎌倉総合病院 救急総合診療科 大淵 尚
2007年9月10月、2008年10月勤務

【伊良部にきたよ!】個人ブログ「それは良くないけれども・・よくある話」より

徳洲会 伊良部島診療所 なんかさ離島診療

今回の赴任地は沖縄本島からさらに南に300km離れた南海の島・伊良部島。
鎌倉を8時に出発し、モノレール、バス、飛行機を2回乗り継ぎ、船に乗り、ついにたどり着きました。
予想はしていたけれど、ほんまに暑いです。9月というのに鎌倉の真夏よりよほど暑い・・・
それに抜けるような青空!
詳細はおいおいアップするとして、まずは無事到着のご報告まで。

いきなりCPA

この日は朝から事務長さんに島の中を案内して頂いて、あとは自宅(元町立診療所2階)で古酒でも飲んで明日からの診療に備えようと思っていました。夕方に散歩がてら港まで降り、近くのスーパーに寄って帰ってみると診療所の前に救急車が止まっている。

徳洲会 伊良部島診療所 なんかさ離島診療

何かいな?と思って顔を出したらCPA患者さんだった。私服のまま心マを代わるも、発見時すでにCPAで30分以上もCPR続けているとのこと。残念ながら心拍再開することなく死亡確認となりました。

島の人達は、亡くなった方の魂がその場所につくと信じているので、臨終が近いとなったら病院から自宅に帰すのだそうです。この患者さんの場合も、ご家族の方は一刻も早く自宅に連れ帰りたがられたとのこと。

当直の先生から「こんな場合どうしたらいいんでしょうか?」とたずねられ、私は原則論を話し、結局警察に届けたらしいのですが、もし私が当直医だったらどうしただろうか?。

離島は大変だ・・

今日は初出勤の日。朝9時から外来開始。ほとんどは高血圧、糖尿病の定期薬処方の患者さんばかり。

それにしても元気なおじいっ(語尾を上げるのが正しいらしい)や、おばあっばかりだ。
ほんまにこんな元気なお年寄りに薬が必要なんかな?。
それに島の人は点滴・痛み止めの注射(トリガーポイント注射)が大好きだ。「点滴は必要ない」とか「痛み止めの飲み薬出しときます」などと言おうものなら露骨に落胆した顔をされる。
すかさず「点滴しときましょう」「痛み止めの注射するよ」とフォローするとピーカン顔に。

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夕方には昨日とはまた違う若い先生が当直に来た。じゃあ私は家に帰るか(といっても歩いて30秒)と思っていたら救急車が来た。なんでも1ヶ月ほど前に胆管炎で受診し、宮古に行くように紹介状まで書いていた患者らしい。本人は「島を出るなら死んでもいい」と言って宮古にはいかなかった、とのこと。今回は発熱もあり、眼もまっ黄色。今度は本当にやばそう。当直の女医先生、家族を説得し、本人もしぶしぶ宮古行きを承諾。 でもこれからが大変。宮古行きフェリーの最終便出発時刻(午後7時30分)が迫っていたから。慌ただしく出発の準備をし、なんとか最終便には間に合ったらしい。

看護師さんに「もし夜中だったらどうするんです?」と尋ねたら、「その時は借り船(チャーター船)しかないです。宮古よりも遠いところに送る時は自衛隊のヘリですね」だとさ。
いやはや離島は大変だ。

出血か?梗塞か?

今晩は初当直。

魚の骨が喉に刺さったという男性が来た。困ったことにとっても嘔吐きやすい人で、舌圧子で触っただけでオウェ〜となる。さあどうするかな・・・。結局内視鏡で見ることにした。はたして喉頭蓋直上に刺さっている魚骨を発見。でも鉗子でつかもうとしたところでオウェオウェゴホゴホとなりなかなかつかめない。格闘すること10分。いつの間にか魚の骨が見当たらなくなった。どうやら脱落してしまったらしい。ご本人はさぞつらかったろうに骨の違和感がなくなったことに大満足。「私の喉の骨は取りにくいんですよ。今までに4回刺さって、2回はすぐに取れなかった。先生は腕がいいね!」だって。

う〜ん・・・・。

その後、病棟で仕事をして自宅で待機(歩いて30秒なので当直でもこんなことができる)しようと思ったら、1時間前発症の右半身麻痺の患者さんが外来に来た。レベルはJCS1桁。バイタルも安定しているけれども、右不全麻痺は間違いなくある。うちで診れるか?。でも出血か?梗塞か?それがわからない。だってCTがないんだもん。CTどころか、CBCすらすぐに結果が出ないのが離島医療の現実なのだ。結局、宮古に送った。もちろん定期船はないので借り船(チャーター船)で。
結果はどうだったか。明日は宮古に行くのできいてみよう。

宮古島は美しい島

今日は朝一番で宮古島本島に渡り、午前中は宮古島徳洲会病院での勤務でした。宮古島徳洲会病院はとても美しい宮古島にふさわしい素敵な病院でした。院長先生はじめ、ドクター、看護師、事務員さんもみんなみんないい人ばかり。とても気持ちよく仕事ができました。

昨晩転送になった患者さんのところにも面会に行ってきました。診断は被殻出血。今朝のフォローアップCTでも血腫の増大はなく、保存的治療で済みそうでした。ご本人・ご家族の方からも礼を言われ、苦労がふっとんだ思いでした。よかった・・・

午後は今回だけの特別で島内を案内して頂きました。前浜、来間島、ドイツ文化村、東平安名崎。駆け足でしたが、どこも美しく、そしてどこかゆったりした時間の流れるそれはそれは美しい島でした。

頑張らない

今日は診療所の新旧(?)のギャル達と飲みに行きました。離島に限らずスタッフと息の合った診療を実践するには、飲みにケーションはとても大切ですね。

旧ギャルいわく「先生みたいにいい人では島の診療は長続きしないさ。まあ2ヶ月ならなんとかもつかも知れないけどさ」だって・・。彼女達の目からは私の肩に力が入りすぎていて、いい人を演じようと無理しているように見えたようです。

そうかもね・・・

毎月のように違った医者がやって来て、誰も定着しない島の診療所。そこに長く勤めている島の看護師さん達の目はさすがに鋭い。

「別にここに長く居るわけじゃないんだから、そんなに無理しないで気楽にやんなさいよ」まるでそんな風に言われているような気がしました。彼女達なりの優しさなのでしょう。

ハイ、わかりました。頑張って頑張らないようにします。

余談ですが、肩を出したり、膝上のスカートをはいているような女性は、島の人達にはおみず系の女性と思われるようです。今回も新ギャル達が旧ギャル達にピシッとたしなめられていました。ははは・・・

平良は都会だね

今日はなぜか1日休み(明日は日直だから?)だったので、事務長さんにクルマを借りて宮古に観光兼買い物に行ってきました。西平安名崎(にしへんなざき:名前ほどには変な岬ではない)や池間島をまわってきましたが、 あいにくの雨で海の色も曇っていました。晴れていたらなあ・・・と残念に思いました。

遅めの昼食に、鎌倉の師長さんに勧められていたソバ屋さんに行ってみました。昔ながらの製麺法を守っている製麺所直営の店と聞いていたので、さぞ古めかしい店だろうと思っていたら、これがまたモダンな店で、店内にはジャズが流れていて、昼食時は外れていたにもかかわらず若いカップルの客でいっぱいでした。

宮古ソバ、ジューシィ(炊き込みごはん?)、おかず1品、もずく酢、漬け物にコーヒーがついてたった700円。 もちろんとっても美味しかったです。

こうやって見ると、やはり平良(ひらら、と読む。宮古島の中心地)は伊良部よりはるかに都会ですね。診療所のスタッフの中でも「私は平良育ちさっ」というと「都会育ちの娘」というニュアンスがあるのもうなずけます。平良からフェリーで伊良部に帰ると本当に何にもないもん。島にあるのは、サトウキビ畑(これさえも私の目には荒れ放題の野原にしか見えない)と漁港だけ。若い人が島に残らないのもよくわかるよ。おかげで島にいるのは観光客か子どもかおじい・おばあだけ。

島のことは島の人が考えるべきことなんでしょうが、わずか2ヶ月でも御縁のあった者として心配せずにおれないです。おっと、これがヨソ者の余計なおせっかいなんでしょうね。偽善者おやじでした。

相棒が来た!

恐怖の島4連直(4日連続当直勤務)中の二日目であります。

島は暑い。だからできれば外に出たくない。しかし、私の身を案じて病院厨房のスタッフは休みの日まで3食しっかりつくって下さる。朝食はいらないとか、ご飯はすべて全粥でとか抵抗は試みたが、やはりこれでは肥る。かなりやばい。

6・7月の指宿勤務でしっかり腹についた脂肪を8月のER勤務1ヶ月ではさすがに落とし切れなかった・・・。キャリーオーバーしたまま島でもこの体たらくでは先がおそろしい(かあちゃんが家に入れてくれない)。悩んでいたその時!ついに心強い相棒が島に来てくれた。この3年間、私と苦楽をともにして来た自転車「ゆずあん1号」である。

嬉しくてさっそく昼休みに港まで走ってきた。しかしこれが間違いだった。島はもともと珊瑚礁が隆起してできたものだから標高は決して高くない。地図で見ると実に真っ平らな島である。しか〜し、港と診療所の標高差は100m近くあるのである。水平距離はわずかだからビックリするほどの急勾配なのだ。なんのこれしきと頑張ってはみたものの、足はガクガク、心臓はバクバク、汗はダラダラで、診療所に帰ってきた時には口から心臓が飛びださんばかりだった。は〜疲れた・・・これから午後診までゆっくり休もうと思っていたら、今日は近くの特別養護老人ホームへの訪問診療日だったのだ。哀れ・・。こんなんで当直あと二日も頑張れるのかな・・・

天気予報に一喜一憂

島で一番よく見られている番組は?・・正解は天気予報です。

それほど島の生活と天気とは切っても切れない関係にあります。半農半漁の人が多く、どちらも天候によって左右されるからです。

しかし、天候が気になるのは島の人だけではありません。私も気になって仕方がありません。今回のように台風が来ると、船も飛行機も欠航となり応援医師がこれなくなるからです。ただでさえオーバーワークになっているのに、応援医師がこないとなると平気で5連直6連直を依頼されます。朝外来、昼往診、合間に入院患者を診て、ムンテラして、主治医意見書を書き、午後外来、夜当直。まったく休む間がない日が5〜6日続きます。

島に常住して勤務するとはそういうことなのです。短期間なら耐えられても長くは続かない。過去の実績が証明している過酷な労働環境です。

ところで天気予報が気になるのはなにも大人だけではないようです。最近、子供の外傷患者をよく診ますが、別れ際に必ず「運動会出ていい?」と尋ねられます。9月は全島あげての運動会シーズンなのです。そして、運動会は島の一大イベント(理由はまた別の機会に・・)なのです。だから子供達も天気予報がとても気になるようです。

それにしても休みになると雨・台風とは・・さすが雨男です。

また来た・・・

台風11号が去ってやれやれと思っていたら、いつの間に・・

島に赴任してから休みの日はことごとく悪天候でつぶれ、先週恐怖の4連直を経験したばかりなのに、今度は台風で応援医師が来られないとのことでまたも恐怖の飛び石4連直になってしまった(T_T)・・・自然のなせる業だから誰に怒るわけにもいかない。ただ呆れるばかりである。

こんな悪天候だから患者は少ないかというと、そういうわけでもない。台風が本格化しないうちにということで、却っていつもより多くのより軽症の患者さんが来る。そして、マーフィの法則「悪いことは最悪のタイミングで起こる」のである・・・

普段でもあまりないような重症の患者さんが二人も来られた。悪天候で定期船はもちろん借り船も出航できないから、自衛隊のヘリ搬送に頼るほかなかった。ヘリは200kmのかなたにある石垣島から来る。しかし、その石垣島も今まさに台風が直撃せんとしているのだ。

「ヘリは飛べないかも知れません・・・」

ぽつりと事務長さんが言った。

「そんなっ、じゃあこの患者さんはどうなるんですかっ」

思わず声を荒げてしまった。

「仕方がないです。それがこの島に住む人の運命なんです。みんなわかっていることですよ・・」

そう呟いた事務長さんの顔はうつむいていた。

幸いにしてヘリは飛んだ。
台風12号の暴風吹きすさぶ中、近くて遠い島・宮古島に向けてヘリは飛び立っていった。
お二人の幸運を念じるばかりである。

9月にインフルエンザ?

体がだるい・・・頭も痛い・・・微熱だが熱もある。気のせいか節々も痛い気がする。先日の台風来島から働きづめに働いているのでついに疲れが出たか?と思っていた。

そういえば、2〜3日前から39度台の熱が出たというお子ちゃまの受診が続いていた。そのうちの一人のお母さんが「宮古でインフルエンザが流行っているので心配になって・・・」と言った。

「そんなバカな・・まだ9月だぞ・・・インフルエンザが9月から流行るなんて聞いたことがない・・」と思いながらも請われるままに迅速検査を実施した。結果は陽性。インフルエンザA型だった。

ということは・・・ひょっとして私も?。結果は陽性。見事(?)なインフルエンザA型だった。まだ明日も当直がある・・・勤務が明けるまでのあと48時間が、まるで数週間も先のように感じられた。

それにしてもこの島はいったいどうなっているんだろうか。異常気象のせい?それとも島という閉鎖環境のせい?。そとなーには考えられない事の連続にとまどうばかりである。

涙の誕生日

本日は私の4?回目の誕生日であります。

テレビをつけるとみんなが「誕生日おめでとうございます」って言ってるので何かなと思えば、巷で話題の自民党総裁選の候補者・麻生太郎氏が私と同じ誕生日らしい。他に同じ誕生日の人いないかなと思って調べてみたら、小田和正さんと一青窈さんが同じだった。どちらも私が大好きなアーチストなので、何となく嬉しかった(単純・・・)。

この歳になるとおめでたい事よりもつらい事の方が多いし、考えてみればまた1年臨終に近づいただけのこと。私の父親は52歳で亡くなったから、その歳まで生きられたとしてあと残すところ10年足らずか。最後を迎えた時に生まれてきて本当に良かったと思える人生にしたいものである。

水戸黄門で有名な水戸光圀公は自分の誕生日に質素な食事をしたという。その心は「今日は亡き父母を一番心配させ苦しめた日。それを思えば何故豪華な食事などできようぞ」とのこと。

私の母はまだ健在だが、今、私がこんなに充実した幸せな日々を送らせてもらっているのも、母が苦労して産んでくれたなればこそと心から感謝せずにおれない。

ご老公に習って私も質素な食事をと思っていたが、診療所の皆さんや患者さんがお寿司や伊勢エビや手作りのお菓子を持ってきて下さったので、とても豪華な食事になった。本当に有難くて申し訳なくて涙が出た。

身はインフルエンザと連直の疲れでヘロヘロなれど、とてもハッピーな一日であった。

海の中は魚がいっぱい

このブログで何度も書いているように、伊良部島には何にもない。
本当に海とサトウキビ畑しかない。
その代わり海は世界でもトップレベル、ダイバー垂涎の海らしい。
陸から見てもたしかに美しいが、海の中はまた格別に美しいとのこと。

ならば潜らないわけにはいかないだろうということで潜ってみた。

場所は下地島空港の南西、中の島ビーチ。
ここは湾になっているので流れもなく、波も静かなので初心者向きなのだそうだ。

海に潜るやいなや、いきなり目の前にベラ(カラフルな色の魚)が泳いでいた。好奇心旺盛なのか、逃げるどころか寄ってくる。

目を海底に転じると、いるわいるわ。

ネオンサインのようにきれいな青い魚や、シマアジの稚魚の群れ、地元でイラブチャと呼ばれている青ブダイ、バラクーダ(鬼カマス)、エンゼルフィッシュのようなシマシマの魚、オコゼ、等々。

そして岩間のイソギンチャクの中からは映画「ファインディングニモ」で有名になったニモことカクレクマノミが珍しそうにこちらを眺めていた!

初心者向きの海でさえこれだから・・

やっぱり伊良部島の海は素晴らしかった!
また潜ってみようと思います。

新しいメンバー

最近はまったりとした大変穏やかな日々が続いている。
少しは島の生活に慣れたのだろうか。それとも、ただ嵐の前の静けさなのだろうか・・。

今日から10月。
島の診療所に新しいメンバーが加わった。

滋賀出身のベテラン看護師Hさん。茅ヶ崎出身、養護教員目指して千葉県・松戸の大学に通う実習生Tさん。中部徳洲会病院2年目研修医のT先生。そして我らがSKGH2年目研修医のS先生。近日中にはK大学2年目研修医のM先生が合流する予定と、なかなか賑やかです。

S先生は本日宮古島に着いたばかり。それでいきなり今晩から伊良部島の当直勤務なのだから・・・さすがです。島診療を舐めてかかっているのか、余裕のS先生はピースサイン。

まあ頑張るんだぞ。

島の子供たち

ひとの縁とは不思議なもので・・

今、診療所に来ている実習生のTさん。彼女は将来小学校の養護教諭(保健室の先生)になるのが夢だそうだ。

彼女がある時「島の小学校を見てみたい」と言い出した。

何とか力になってやれないか、と思った時に思い出した。
私は伊良部島小学校の校長先生と面識があったのだ。

話は8月末に遡る。

9月から伊良部島に行くことを外来スタッフと話をしていると、O師長から「宮古に娘がいるので写真を持っていってちょうだい」と頼まれた。その娘さんのご主人が伊良部島小学校の校長先生だったのだ。

電話をしたところ快諾して下さり、本日訪問と相成りました。

島の小学校はとても素晴らしいところでした。

こども達は、おとなの目を気にしない、好奇心いっぱい、元気いっぱいの本当にこどもらしい良い子達ばかりでした。

カメラを向けると「内地から来たの?」「いつまでいるの?」「何しに来たの?」「(Tさんを指さして)恋人?」「注射できるの?」・・・と質問攻めにされます。答えるや否やさっさと遊びにいって走りまわっている。本当にこどもらしい微笑ましい姿でした。

Tさんの付き添いでしたが、大いに癒されたひとときでした。

またまた来た(T_T)

またまた台風が来た。
もういい加減にしてほしい・・・
なんでいつも週末・連休中に来るんだろうか?
これでまた週末と連休がつぶれ、休みなく連続フル勤務だ・・・(T_T)
しかし相手は自然現象だから仕方がない。嘆いても所詮のないことだ。

島でたった一人の医者というのは想像以上に辛く、時にその責任の重さにつぶれそうになります。

しかし、離島診療は決して絶やしてはならないと思います。
だからこそ、たった一人にその重責を押しつけるのではなく、その大切さと大変さを知らされた人達が協力し合って守っていかねばならないと思います。

中部徳洲会3年目のK先生は若いのにしっかりした考えを持ち、毎月同志を募って伊良部島の応援をしてくれています。K先生は2年目に伊良部島診療を経験し、dutyを離れた後、自ら応援を申し出たそうです。

本当に立派だと思います。

私も離島研修が終わった後、ぜひ伊良部島応援医師グループに入りたいと思います。

とりあえずこの週末・連休に頑張ります。

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